大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山口地方裁判所 昭和56年(わ)39号 判決

裁判所書記官

栗栖清次

本籍

広島市中区堺町二丁目三六番地

住居

山口県岩国市麻里布町二丁目八番一四号

医師

夛山博

昭和二年九月八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官大坪弘道出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、肩書住居地において、皮膚泌尿器科医院を営むかたわら、営利の目的で継続的に株式の売買を行っていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、右株式の売買を長男名義で行う等の方法により所得を秘匿したうえ、

第一  昭和五三年分の実際総所得金額が二億一二二七万〇七一〇円あったのにかかわらず、昭和五四年三月一日、山口県岩国市麻里布町六丁目一四番二五号所在の岩国税務署において、同税務署長に対し、昭和五三年分の総所得金額が一九四五万五六二二円で、これに対する所得税額が四三三万七九〇〇円である旨の虚偽過少の所得税確定申告書(昭和五八年押第四一号符号1)を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額一億四二〇〇万三九〇〇円と右申告税額との差額一億三七六六万六〇〇〇円を免れ

第二  昭和五四年分の実際総所得金額が四二六二万四二〇三円あったのにかかわらず、昭和五五年三月五日、前記岩国税務署において、同税務署長に対し、昭和五四年分の総所得金額が二三九六万二五〇八円で、これに対する所得税額が六八〇万四九〇〇円である旨の虚偽過少の所得税確定申告書(昭和五八年押第四一号符号1)を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額一七七〇万八四〇〇円と右申告税額との差額一〇九〇万三五〇〇円を免れ

第三  昭和五五年分の実際総所得金額が一億六八四一万四六一一円あったのにかかわらず、昭和五六年三月九日、前記岩国税務署において、同税務署長に対し、昭和五五年分の総所得金額が二七二三万九二九〇円で、これに対する所得税額が八五一万八八〇〇円である旨の虚偽過少の所得税確定申告書(昭和五八年押第四一号符号1)を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額一億〇九〇九万一六〇〇円と右申告税額との差額一億〇〇五七万二八〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

判示全事実について

一  被告人の当公判廷における供述

一  第一回公判調書中の被告人の供述部分

一  被告人の検察官に対する供述調書(三通)

一  被告人の大蔵事務官に対する昭和五六年一〇月二二日付、同月二三日付、同月二四日付及び同年一一月一二日付各質問てん末書

一  証人畑本義雄の当公判廷における供述

一  第二五回ないし第二九回公判調書中の証人畑本義雄の各供述部分

一  第一七回ないし第二二回公判調書中の証人吉岡克一の各供述部分

一  第一一回ないし第一三回公判調書中の証人狩野芳則の各供述部分

一  第八回、第一四回及び第一五回公判調書中の証人西山秀嗣の各供述部分

一  第六回及び第七回公判調書中の証人石井翼の各供述部分

一  第一六回公判調書中の証人栗栖正治の供述部分

一  平尾ヨシエ(抄本)及び夛山潔の検察官に対する各供述調書

一  畑本義雄外一名作成の証拠説明報告書(抄本)

一  吉岡克一作成の昭和五七年一月一四日付及び同年二月五日付(抄本)各調査事績報告書

一  西山秀嗣作成の証明書(抄本)

一  押収してある確定申告書綴一綴(昭和五八年押第四一号符号1)

判示第一の事実について

一  押収してある株式委託注文伝票綴(現物・昭和五三年分)一綴(昭和五八年押第四一号符号2)、同(信用・昭和五三年分)一綴(同符号5)及び売買注文伝票綴(昭和五三年分)一綴(同符号8)

判示第二の事実について

一  押収してある株式委託注文伝票綴(現物・昭和五四年分)一綴(昭和五八年押第四一号符号3)、同(信用・昭和五四年分)一綴(同符号6)及び売買注文伝票綴(昭和五四年分)一綴(同符号9)

判示第三の事実について

一  押収してある株式委託注文伝票綴(現物・昭和五五年分)一綴(昭和五八年押第四一号符号4)、同(信用・昭和五五年分)一綴(同符号7)及び売買注文伝票綴(昭和五五年分)一綴(同符号10)

(争点に対する判断)

被告人は、昭和五三年ないし昭和五五年の各年分において、三洋証券株式会社東京本店(以下「三洋証券」という。)と東洋証券株式会社岩国支店(以下「東洋証券」という。)における株式の現物取引及び信用取引による売買益(雑所得)を得ていたところ、東洋証券における潔名義の株式売買取引は潔のために行ったものであるから自分には帰属しないと弁解し、弁護人も潔名義の株式売買取引は潔自身に帰属するものであり、また年間売買回数は注文伝票総括表を基に算定されるべきであるから、右各年分の株式売買益について、被告人の年間株式売買回数は当時の課税要件の形式的基準である五〇回に満たないとして、その売買回数を争い、さらに検察官が株式売買による収益の帰属時期について、成約日を基準としているのに対し、決済日(受渡日)を基準とすべきであると主張し、所得の帰属時期についても争っている。したがって、本件の争点は、被告人が行った東洋証券における潔名義の株式売買取引及びその取引による収益が被告人に帰属するかどうか、被告人による株式の年間売買回数が当時の株式売買取引による所得に対する課税要件である五〇回以上であったか否か及び株式売買取引による所得の帰属時期はいつかである。

そこで、以下各争点について判断する。

一  潔名義の株式売買取引及びその取引による収益の法律的・経済的帰属について

1  被告人及び弁護人は、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書並びに検察官に対する供述調書の自白の任意性及び信用性について争っているので、一応これらの証拠を除外した前掲各証拠を総合すると、

以下の事実が認められる。

(一) 被告人は、長男潔が幼少のころから情緒障害、欝状といった神経症の症状を呈していたため、その将来に不安を感じて、潔のために経済的な手当を施そうと考え、昭和三九年ころ、自ら購入資金を拠出して、広島市内に二筆の土地の共有持分を取得し、潔名義で登記をしたが、贈与税の申告手続は行わなかった。その後、昭和四八年ころ、右土地の内の一筆を第三者に売却することについて他の共有者から相談を受けたことから、潔に何らの相談をしないまま、したがって同人の承諾を得ることもなく、自ら右土地の売却に同意した。その結果、右一筆の土地持分の売却代金約一一〇〇万円を取得できたので、被告人は、広島相互銀行岩国支店(以下「広相」という)に潔名義の普通預金口座を開設して、これを一旦預金した後、同年末ころ、東洋証券に潔名義の現物取引の口座(顧客勘定口座)を開設し、右広相の潔名義の口座から引き出した約九〇〇万円を東洋証券の潔名義の口座に移し、国債等を購入した後、その国債等を処分して潔名義で株式売買を行うようになり、更に昭和五一年残りの土地の持分も代金約七〇〇万円で売却できたので、前同様にして、一旦売却代金を広相の潔名義の口座に入金した後、東洋証券の潔名義の口座に移して、株式購入の資金とした。潔は、これら各取引に何ら関与しておらず、各取引の当時、右土地の購入及び売却の事実並びに経緯、売却代金の使途についてはなにも知らされていなかったし、また、被告人が東洋証券に自分名義の口座を開設したことや株式売買取引きを開始したことも知らされていなかった。

(二) 被告人は、右の経緯で開設した潔名義の口座を利用して、昭和四八年ころから継続的に株式売買取引を行っていたが、取引に際し、取引銘柄の選定、売り買いの別、取引数量、信用・現物の別、指値・成行注文の別等の取引に関する一切の事項を自ら決定し、かつ、東洋証券の担当者との連絡も被告人がすべて行い、潔が右取引に関与したことは一度もなかった。また、東洋証券の担当者も、潔と面識があるものの、潔名義での取引の主体は被告人であると認識しており、売買報告書はすべて被告人あてに送付し、潔とは株式売買取引の話すらしたことがなかった。

(三) ところで、潔名義の口座には、潔の給料の内、昭和五三年九八万円、昭和五四年一五六万円、昭和五五年九二万円がその資金の一部として組み入れられている(狩野芳則作成の昭和五七年二月二二日付調査事績報告書)が、これは潔の一か月の給料十数万円の内の約一〇万円を毎月広相の口座に預金し、これを東洋証券の口座に移し代えて用いていたもので、右広相預金の手続は被告人の妻が行い、広相の口座から東洋証券への資金の移動は被告人が行っており、潔はこうした一連の手続に関与しておらず、右預金の管理運用についても知らなかった。また、昭和五三年八月、潔名義で大阪証券金融株式会社から九〇〇〇万円を借入れ、これが酉島製作所の株式の購入資金に投入されているが、右は、東洋証券担当者西山秀嗣らと被告人が相談のうえ、被告人が酉島株を購入することとしたものの、その資金が不足するためこれを借入れることとし、その借入れの名義も取得した株式の名義もすべて潔としたうえ、取得した株式や潔名義の他の株式を担保として差し入れたものであるが、右借入手続は、被告人がすべて行っており、潔はこれに一切関与していないだけでなく、自分にそのような借入金があることや自分名義で酉島株を購入したこと、それらの自己名義の株式が担保として差し入れられたことすら知らなかった。

(四) 被告人は、潔に対して、昭和五三年一〇〇万円、昭和五四年一〇〇万円、昭和五五年二〇〇万円を贈与したこととして、これらをいずれも潔名義の口座に入れている他、昭和五三年から昭和五五年にかけて計二〇回にわたって約六〇〇〇万円を株式購入資金、右潔名義の借入金九〇〇〇万円の返済金の一部等として投入する一方、前記酉島株が予期に反して値下がりしたためこれを売却して借入金の返済に充てたほか、昭和五五年に潔名義の口座から約六〇〇万円を引き出して、被告人の両親、次女名義の国債購入や定額貯金に充てているが、右潔名義の口座への資金の持込み及び引出しについて、潔は何も知らなかった。また、右九〇〇〇万円の借入金の返済資金のうち三〇〇〇万円については、被告人と潔との間で金銭消費貸借契約の公正証書が作成され、潔自身が公証人役場に赴いて押印しているが、潔は公正証書の内容を十分に読んでいないばかりでなく、それが何のためのものか詳しい事情は何も知らされておらず、父である被告人がすることであるから言われるとおりにしたという程度のものであり、右公正証書の正本及び副本はいずれも被告人が保管していた。

(五) 潔は、前記土地の登記名義人となった当時一一歳であり、土地が売却され、潔名義の口座が開設された昭和四八年末当時二〇歳で京都外国語大学に在学中であっで、その後、同大学を卒業して広島市内の会社に就職し、被告人方で同居していたのであるが、被告人から、それぞれ昭和五〇年四月ころ被告人が潔名義で株の現物取引をしていることを、昭和五二年九月ころ潔名義で信用取引を開始したことを、昭和五五年中ころ潔名義の土地の売却代金で潔名義の株取引を始めたことを、昭和五六年ころ潔名義で約一億円の資産ができたことを知らされたのみで、それ以上に詳しいことは前記のとおり知らされておらず、被告人による自分名義の株式売買取引についての代理権を与えた事実もなかった。

2  以上の認定事実をもとに、被告人が潔名義で行った東洋証券における株式売買取引及びそれによる収益が法律的・経済的に被告人あるいは潔のいずれに帰属するかについて検討する。

(一) 被告人が潔名義の口座を開設して同人名義で株式売買取引を行うようになった経緯は、被告人が自分名義の売買回数を減らす意図であったか否かはさておき、潔の将来に不安を感じて同人のために資産を残す必要があった状況の下で、潔名義にしていた土地が売却され、その売却代金を入手できたことを契機としてなされたものであるが、右潔名義の土地の購入資金の拠出から売却の承諾、売却代金の管理運用に至るまで、すべて被告人が潔に相談することなく自らの判断で行っており、潔は何ら関与していないこと、売却当時は二〇歳であり、しかも潔の承諾を得るに何らの支障はなかったにもかかわらず、その承諾すら求めていないことからすれば、右土地は潔名義になっていたものの、実質的には被告人の所有であったと認められ、その土地売却代金で潔名義の口座が開設され、潔名義で株式売買取引が開始されたことからすると、当初の株式購入資金は潔の資金というよりも、被告人が支配管理する資金であったと認められる。

右土地について、被告人は、贈与税の申告をしなかったのは、当時の土地の評価額が贈与税の課税限度額に至らなかったから、贈与税の問題が生じなかったにすぎず、潔に贈与したものである旨弁解しているが、贈与税の申告をしたか否かのみで贈与があったか否かが決定されるわけではなく、前記のとおり、単に登記名義が潔になっていたこと以外、潔に対する贈与の意思表示と見られる事実がなく、却って、売却当時、潔自身がそのような土地があることすら知らず、しかも贈与によって潔が所有権を取得していたとするならば売却に当たって既に成人に達していた潔の承諾あるいは代理権授与が当然に必要であるにもかかわらず、これらが全くなされていないばかりでなく、被告人自身それが必要であるとの認識すらなかったことに照らせば、右土地についての実質的な所有権が潔にあったものとは到底認められない。

(二) 潔名義の株式売買取引のために投入された大阪証券金融株式会社からの九〇〇〇万円の借入金については、被告人がこの借入手続を行い、潔は何ら関与していないこと、右借入金が実質潔に帰属するものであるならば、潔自らがこれを返済しなければならないにもかかわらず、潔は返済行為を行っていないこと、利息の一部を被告人が拠出していること、さらに、その返済にあたって被告人が返済資金のうちの三〇〇〇万円を潔に貸付けたとして返済し、この三〇〇〇万円については、潔との間で消費貸借契約が締結されたとして公正証書が作成されているが、潔自身被告人から右三〇〇〇万円の借入をしたという認識すらなく、月給十数万円の潔の返済能力や契約の経緯に照らすと、これは税務上贈与と認定されるのを避けるために消費貸借契約があったとして公正証書を作成したにすぎず、真実消費貸借があったとは認め難いことからすれば、右九〇〇〇万円の借入金は実質的には被告人に帰属し、これを潔名義の株式購入資金として投入したものというべきである。

(三) 潔名義の株式売買取引を行うために、被告人から潔名義の口座に対し、右三〇〇〇万円を除き、昭和五三年から昭和五五年の三年間に前記潔への贈与金四〇〇万円を含めて約三〇〇〇万円が注ぎ込まれているが、右贈与金四〇〇万円については外形的に贈与の形態が採られているものの、その目的は株式売買取引を行うことにあり、それ以外の目的はなかったこと、また、被告人は当公判廷で右投入資金の一部には潔に対する貸付金や申告を要しない贈与も含まれていると供述しているが、貸付金についての契約が存在している訳でもなく、贈与であると主張する部分について贈与の意思表示があったとも認められず、やはりその目的は株式売買取引に供すること以外にあったとは認められないことからすれば、右被告人から潔名義の口座に持ち込まれた資金も被告人が支配管理している被告人自身の資金というべきである。

(四) 潔名義の株式売買取引による利益金の管理については、実際に株式の売買をし、その利益等で新たな株式を購入するなどその運用をしたのは被告人であること、被告人が潔名義の口座から利益の一部を引き出して被告人の親名義等の国債購入等に充てていることからすれば、被告人が行っていたものと認められる。

この点について、被告人は、潔名義の口座からの出金は潔のために用立てた投入資金の一部を取り戻したものである旨弁解しているが、被告人が主張するように潔名義の口座が真実潔自身のものであれば、その口座から潔の承諾を得ないで勝手に資金を引き出すことは許されないというべきであって、当時被告人自身右のような意思をもって資金を引き出していたとは認められない。

(五) 潔は、被告人の行っている株式取引に一切関与せず、しかも詳しい事情を知ろうともしていないことからすると、潔としては、自分が父親である被告人を代理人として株式売買取引をしているとは認識していなかったものと推認され、被告人が自分名義で行っていた株式売買取引が自分の取引であると認識していたものとは認められない。

(六) 被告人は、潔名義の土地の購入、売却、同人名義の口座の開設、その資金の移動、運用、借入金の手続等潔名義の株式売買取引にかかわる一切の事項について、自らの判断で行い、一々潔に相談したり、その了解を求めることをしなかったこと、潔名義の取引と自己の取引で共通した銘柄を選定していること、潔名義の株式売買取引に伴うリスクを何ら考えておらず、しかも購入資金不足をきたした場合に自らの資金を投入したり、前記のとおり潔名義の借入金の一部を弁済するなど、潔自身に帰属する取引であれば潔自身が負担しなければならない資金を自ら拠出するなどしていることからすると、被告人自身を潔名義の株式売買取引を自己の取引の一部にすぎないという認識のもとに行っていたものというべきである。

以上に認定説示した株式売買取引開始の経緯、口座開設資金及び株式売買取引資金の出所、利益金の管理、名義人である潔及び被告人自身の認識、東洋証券の担当者の認識等に徴すると、被告人が潔名義で行った株式売買取引の主体は法律的にも経済的にも被告人自身であって、その収益は当然に被告人に帰属するものというべきである。

なお、この点について、検察官は、本件においては所得税法一二条に規定されるいわゆる実質的所得者課税の原則が適用されるので、被告人による潔名義での株式売買取引及びそれによる収益が被告人に帰属する旨主張している。しかしながら、本件においては、右に認定説示したとおり、潔名義の株式売買取引及びそれによる収益は法律的にも経済的にも被告人に帰属すると認められるのであって、実質所得者課税の原則を適用するまでもない。

もっとも、被告人が当公判廷で供述するように、被告人には強迫神経症に罹患した潔の将来を案じてその財産を形成するいう主観的意図があったことは認められるが、およそ資産形成の目的とその資産が誰に帰属するかという問題とは別個の事柄であって、被告人が潔のために資産の形成を図るという主観的意図を有していたことは、被告人による潔名義の取引及びその収益の法律的・経済的帰属を左右するものではなく、被告人はかかる内心の意図のもとに一部潔名義を含めて自己の資産を形成し、これを管理運用していたに過ぎないというべきである。

3  そして、被告人の当公判廷における供述及び平尾ヨシエの検察官調書など関係各証拠によれば、被告人は、本件当時、株式売買に伴う所得の課税要件を認識し、注文伝票総括表や売買報告書によって売買回数を管理していたこと、被告人自身が潔名義の口座を利用して株式売買取引を行っており、自己名義の口座の取引及び潔名義の口座の取引内容を熟知していたことが認められ、これらの事実によれば、自己名義の取引回数と潔名義の取引回数を合わせれば年五〇回以上に達していることを認識していたものといえる。それにもかかわらず、被告人は株式売買取引による所得について何ら申告しておらず、加えて、前記認定のとおり、被告人は、潔の将来を案じ、多くの資産を残す必要があり、少なくとも前記潔名義の取引が被告人自身のものであることを基礎付ける客観的な事実を認識していたことに徴すれば、被告人が潔のために資産形成をするという主観的意図を有していたとしても、それのみが唯一の理由でなく、税ほ脱の意図をもって潔名義で株式売買取引を行うという偽りその他不正の行為を行ったものといわざるをえない。

4  右のとおり、本件脱税の概要、潔名義を使用した分割取引の事実及び右潔名義の取引が被告人自身の取引であることは、被告人も、昭和五六年一〇月二二日付、同月二三日付、同月二四日付及び同年一一月一二日付大蔵事務官に対する各質問てん末書において認めるところであるが、被告人及び弁護人は、本件調査に当たって、査察官から(1)査察当局の見解に同調すれば、事件は早期に解決する、(2)査察当局の見解に同調しなければ、報道機関に情報提供をすることをほのめかされた、(3)潔名義の口座が自己に帰属することを認めないならば、贈与税をかけたうえ、所得税もかける、(4)調書が作り直された、(5)客観的にみて潔名義の口座は被告人の口座になる、などと強引に言われて自分の言い分を聞いて貰えなかったため、やむを得ず査察官が作成した調書に署名したものであり、右査察官の言動は誘導的かつ威圧的な取調べであるから、右自白調書には任意性がないと主張する。

そこで、検討するに、大蔵事務官による質問調査の経過及び取調べ状況を見ると、被告人及び畑本義雄の各公判廷における供述(公判調書中の供述記載を含む-以下すべて同様)によれば、昭和五六年一〇月二二日午前中被告人の自宅で調査が行われ、その後岩国税務署に場所を移して午後八時ころまで調査が続行されて、同日付質問てん末書が作成され、以後同月二三日日午前九時ころから午後七時ころまでの間及び同月二四日午前九時半ころから午後二時半ころまでの間は被告人の自宅において調査が行われて各日付の質問てん末書が作成され、その後約半月を経た同年一一月一二日午後一時から午後七時ころまでの間岩国税務署において調査がされて同日付の質問てん末書が作成されており、以後も調査は続行されて数通の質問てん末書が作成されているが、被告人に対する調査はいずれも、被告人の自宅又は岩国税務署で行われ、かつ身柄拘束の下で調査が行われたことは一度もなく、自宅における調査は、いずれも二階で行われ、患者等に見られるおそれはなく、また、被告人の本来の業務に支障を来さないために、来患があるときには中座して診療にあたることが可能な状況で行われていた。

被告人の供述の変遷過程をみると、前記のとおり、昭和五六年一〇月二二日付、二三日付、二四日付の各質問てん末書では事実を認める供述をし、さらにそれから一九日間も経過した一一月一二日の取調べにおいても、「あくまで自分が利益を得ようと思って取引した」として、潔名義の取引が自分自身の取引であることを認める内容の供述をし、その質問てん末書に署名していたところ、同年一一月二四日に至って、広島国税局に対して直接、潔名義の口座は自己の口座とは別であること、売買回数を減らすために潔名義の口座に分割したのではないこと、自己名義の口座だけでは五〇回の売買回数に達していないと認識していたこと等を記載した嘆願書を提出するという行動に出て、以後否認に転じている。

各質問てん末書について、被告人が公判廷において主張する、質問調査時に査察官に対し、「潔名義の取引は、同人の将来に不安を感じて、同人のために資産を増やしたい目的で行ったものである」と主張し、これを質問てん末書に記載するよう懇願したにもかかわらず、その旨を記載して貰えなかったと主張する点についてみるに、一〇月二二日付質問てん末書には申告しなかった理由としてではあるが「潔の将来に不安を感じて、同人名義の財産を残してやりたいと思った」旨、二三日付質問てん末書にも「長男潔名義の財産も残したい」旨、二四日付質問てん末書にも同じく申告しなかった理由としてではあるが、「長男潔のために個人財産を多く残したい」旨、一一月一二日付質問てん末書にも潔名義の口座を作った理由として「潔が体が弱く、一本立ちできる見込みもなかったので、親として一銭でも多く残してやりたいと思った」旨記載されており、少なくとも本件潔名義の株式売買取引が被告人の内心において潔のために資産を形成する主観的意図があったという、被告人の弁解は取調べ官において聞き入れられ、そのつど質問てん末書に録取されていることは明らかであり、この点についての被告人の公判廷での主張は事実に反している。

右のような取調べの経過、方法、時間、調書の内容、自白から否認に転じた過程やそもそも被告人及び弁護人が自白の任意性を否定する事情として主張する前記(1)ないし(5)の事情がそれ自体本来供述の任意性を損なう事情とはみられないばかりでなく、その供述の内容が前記のような被告人の自白がなくとも認定できる事実と合致していることに徴すると、被告人の各質問てん末書の自白の任意性及び信用性に疑いを入れる余地はない。

また、弁護人は、検察官調書も前記質問てん末書を踏襲し、その取調べが著しく長時間に及んだものであるので、その任意性に疑いがあり、その供述内容は検察官の言い分と妥協したものであるから信用性もないと主張するが、昭和五七年二月二三日付検察官調書には、一部被告人に不利なことを認める趣旨の記載があるものの、「当時はあくまで潔の取引であると思っていた」「当時はあくまで潔の取引の代行をしていた」旨、被告人の弁解も記載されており、必ずしも自白しているものとは解されないこと、二三日の取調べ時間は午前一〇時二〇分ころから午後九時三〇分ころまでの間(午後一二時から一時過ぎまでの間を除く)で、午後は途中一〇分ないし一五分間二回位の休憩が挟まれていること、その供述内容は他の証拠によって認められる事実と合致していることに照らすと、右検察官調書の任意性及び信用性は充分認められる。なお、同年二月一八日付、同月二六日付各検察官調書はいずれも結論において否認調書である。

したがって、弁護人の右主張はいずれも採用できない。

二  年間売買取引回数について

三洋証券における被告人名義の取引回数を注文伝票総括表の枚数を基にして同一日の取引と認められる回数を減じて算出した回数、及び東洋証券における被告人名義及び潔名義の取引回数を委託注文伝票の枚数、売買の別、現物信用の別、前場後場の別等を区別しないで、同日付けの売買をすべて一回として算出した回数は、次のとおりと認められる(この点に争いはない。)。

(1)  昭和五三年分

三洋証券被告人名義…三〇回

東洋証券被告人名義… 九回

同潔名義…二五回

(2)  昭和五四年分

三洋証券被告人名義…二四回

東洋証券被告人名義…一〇回

同潔名義…五一回

(3)  昭和五五年分

三洋証券被告人名義…三七回

東洋証券被告人名義… 二回

同潔名義…八八回

株式売買の取引回数の判定基準については、証券会社に委託して取引を行った場合、所得税法施行令二六条一項、二項の規定や所得税基本通達九-一五(そこでは、証券会社との委託契約ごとにそれぞれ一回とする旨規定されている。)の解釈とも関係して、基本的に、委託者と受託者間の委託契約ごとにそれぞれ一回とみるものやその委託契約に基づき証券会社が行った売買取引の成立ごとにそれぞれ一回とみるものなど見解が別れているけれども、右認定回数のように、注文伝票総括表の枚数を基にして同一日の取引と認められる回数を減じて算出したり、同日付けの売買を全て一回として算出すると、委託契約あるいは取引の成立ごとに一回とする場合に比べて回数が少なくなる。

ところで、検察官は、三洋証券における被告人の本件各年分の売買取引回数について、一部の注文伝票総括表に本来別個の注文を後から書き加えたものがあること、実際の注文株式数を超えて成約がなされたため、重要な要素の変更があったものとして別個に加算すべきものがあること、注文伝票総括表に記載された一か月の有効期間を経過した後になって売買がなされているものがあること、顧客勘定元帳等により取引が成立しているのに、これに相応する注文伝票総括表に記載がないものがあること等から、新たに回数を加算すると、昭和五三年分が四二回、昭和五四年分が四八回、昭和五五年分が六一回であり、これに東洋証券における被告人名義の取引を加えると、いずれの年分とも五〇回以上で、課税要件を満たしていると主張する。

しかしながら、右のように被告人に最も有利な回数認定をしたところで、前記のように東洋証券における潔名義の取引が被告人に帰属すると認められる以上、被告人名義及び潔名義の各取引を合計した取引回数は年間五〇回以上であることが明白であるから、検察官の右主張の成否について判断するまでもなく、被告人による本件各年分の年間株式売買回数はいずれも五〇回以上であることは明らかである。

三  収益の帰属時期について

現物あるいは信用取引であれ、株式取引による収益の帰属時期について、税法上直接これを定めた規定はないけれども、所得税法三六条一項が収入金額の計算について「その年において収入すべき金額とする」旨規定していることからすれば、収益が実現したと認められる場合には、その実現したと認められる日の属する年度に帰属すると解される。

そこで、いかなる時点で収益が実現したと認められるかについてみるに、証券会社に委託し、証券会社が証券市場を通じて株式の売買取引を行う場合には、約定成立の日から四日目に決済されるのが取引慣行である(証券取引所においてその旨を定めた受託契約準則が存在する。証券取引法一三〇条二項)ので、その間に四日のずれが発生するけれども、証券会社に委託して行われる株式売買取引は売主と買主との個別具体的な対応関係のない取引であって、その取引形態・慣行に照らし、決済日に決済されないという事態は考え難く、決済日には確実に決済されるなど、その権利実現の確実性に徴すると、売買の約定が成立したときに収益が実現したものと解するのが相当である。

もっとも税法上の解釈・運用に関し、国税庁内部における執務基準として各種の通達が存するところ、法人税基本通達二-一-二二(昭和五五年直法二-八により新設)は「有価証券の譲渡による益金の額は、別に定めるものを除き、その引渡しがあった日の属する事業年度の益金の額に算入する」としているが、そもそも課税方針について、法上は有価証券の継続的取引を前提に原則課税とされる法人税の場合と、有価証券の譲渡所得を原則として非課税とし、その継続的取引による所得と認められる例外的な場合に初めて課税の対象とされる所得税の場合とを区別しているうえ、前記のとおり、証券会社を通じて行われる株式売買取引における決済の確実性に照らせば、法人税の場合に右通達のような取扱いをしているとしても、そのことをもって、所得税法上の収益の帰属時期について前記のように解することの妨げになるものとは解されない。

また、所得税基本通達九-二三は、信用取引の方法による株式の売買から生ずる所得の帰属時期につき「当該信用取引の決済の日の属する年分の所得とする。」としているが、この通達は、信用取引により株式の空売りをしていた者が買戻し又は現物により決済する場合の取扱いを明らかにしたものであり、このような場合は、先行する空売りの時点では譲渡原価もなく取引が完成していないのであるから、その時点では収益が実現していないということができるのであって、被告人による本件各年分の株式の信用取引については、株式の空売りが先行したものがなかったことが認められる(第二六回公判調書中の証人畑本義雄の供述部分)から、本件の場合とは事案を異にし、収益の帰属時期について前記のように解することの妨げとなるものではない。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、いずれも、行為時においては、昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては、右改正後の所得税法二三八条一項にそれぞれ該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから、いずれも刑法六条、一〇条により軽い行為時の刑によることとし、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ各罪につき情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に処し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、皮膚泌尿器科医院を営む被告人において、本業のかたわら株式売買取引を継続的に行い、多額の所得を得ていながら申告せず、昭和五三年ないし昭和五五年の三年間にわたり合計二億五〇〇〇万円近い所得税をほ脱したという事案である。その動機は、強迫神経症という病気を背負った長男の将来に対する経済的不安を取り除こうというのであるが、医師としての本業により大多数の国民をはるかに上回る収入を得ていながら、なお脱税をしてまで資産を残そうとするものであって、本件脱税を正当化するには程遠いものである。また、脱税の手口は、被告人名義の取引と長男名義の取引に分割して、課税要件である取引回数を少なく見せかけて課税を免れようとしたものであって、悪質な犯行といわなければならない。さらに、その脱税額は二億五〇〇〇万円に近く、その時期が昭和五三年から昭和五五年までであることを考慮すれば、個人の脱税額としては極めて高額であり、右のような高額の脱税は、まじめに働き正直に納税している大多数の納税者に対して税負担の不公平感を抱かせるとともに、一般社会の納税意欲を損なう行為であり、その社会的責任も重大である。しかも、株式取引には長男を一切関与させず、株式取引による収益等の管理一切を自ら行い、当初は脱税を認めておきながら、後日になってこれを翻して争い、本件について修正申告による税金の納付もしておらず、反省悔悟の情はみられない。

以上のような事情を考慮すれば、被告人の刑責は重大であって、被告人に前科前歴がないこと、前記のとおり本件脱税の動機が長男のために資産を残すことにあったが、資産ができたものの長男が自らの命を絶つという事態に遭遇し、本件脱税が無に帰したこと、被告人が高齢であることなど被告人にとって斟酌すべき諸事情を勘案しても、実刑をもって臨むのが相当である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山森茂生 裁判官 山﨑勉 裁判官 稲元富保)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例